いろんな苦労があり、遠回りしながらどうにかこぎつけた日本橋での開業でしたが、オープンから半年間は売上が上がらずにとても苦しかったですが、半年が経過した頃にようやく売上が上がって安定してきました。
その間には席の位置を変更したり、新しく小さなカウンター席を設置したりして試行錯誤しました。メニューも弁当のレパートリーを増やしたり、店内メニューも何度か改良や変更を重ねた結果、ランチの月曜日から金曜日の営業は開店前の計画通りに売り上げられるようになりました。苦戦していたディナーの営業も一品メニューを増やしたり、お酒のメニューを見直したりしながら、地道に営業を続け、少しづつ常連さんもついてきました。1年が経過した頃には、そろそろ2店舗目の開業の話などがあったり、スタッフを増やそうと考えたりで、次のステップへ進もうと楽しくなってきた頃でした。
順調になってきたと実感していた、ある土曜日の営業後、お店に何の前触れもなく2人のスーツ姿の男性がやってきたのです。
当時土曜日は15時までの営業で、オフィス街ということもあり平日の4分の1ぐらいの売り上げで、のんびりした営業だったので、営業終了後に掃除を念入りに行う日にしていました。
普段ならおそらくうちのお店には来ないような2人組は、お店のことをいろいろ聞いてきました。
その時は、家主の関連の人だろうと思いながら話していたのですが、まさかその後に立ち退きを命じられるとは思ってもみませんでした。
その2人組が訪れた1ヶ月ほど後に、突然立ち退きに関する内容証明のが来たのです。
最初はこんなものが来てもまだ1年ちょっとしかお店もやってないし、何かの間違いだろうとあまり重大に考えてませんでしたが、お隣のテナントさんにも同様の内容証明が来ていたので、詳細を確かめようと借主に問い合わせました。
実はこの場所は家主からの直接契約ではなく、間に転貸主がいて、その転貸主が建物を一括で借り、区画を区切って複数のテナントを誘致していたのです。
所謂又貸しなのですが、家主からの承諾を得て運営していると聞いていたので、又貸しに対しては気にしていませんでした。
ここで物件契約時の大きな失敗をしていたのですが、転貸している会社との賃貸借契約は済ませていたのですが、実際の家主との契約はしていなかったのです。本来ながら転貸承諾書の契約を交わすなど家主からの承諾する証明がなかったのがいけなかったのです。
店舗開発をしていた経験から、店舗の契約には慣れていたので、転貸主との契約時に転貸承諾書の依頼はしてました。転貸主はあまり気乗りはしないようでしたが、どうしてもというならば取りますと言っていたのに、以前からの知り合いと契約しているので大丈夫だろうという自分の勝手な解釈で、その後の契約をうやむやにしてしまったのです。これは完全なミスで大きな教訓となりました。
結局裁判をすることになりました。家主から転貸主及び現テナントに退去命令が出されたのですが、こちらからすれば契約をして間もないのに退去をするわけにはいかないと対抗しました。転貸主が過去に家賃の滞納や、入居テナントに通告せずに既に解約予告を家主に出していたことなど、明らかな非があったので退去は免れそうもなく、現テナント3店舗対転貸主という様相になりました。ただ家主とはトラブルを起こしたわけではなかったので、並行して家主に対して直接契約をしなおして店舗を続けたいと願いでました。
しかしこの建物は周辺の大規模な開発のために大手不動産に売る予定で、結局家主との直接契約を交わすことができず撤退が決まってしまいました。撤退期限日の15日前までは、希望を捨てずに折衝してましたが、残念ながらこの場所で続けることは出来ませんでした。2015年7月31日までに撤退する約束を守るために、約1週間で急いで撤退作業を行いました。幸いスケルトンにしなくても良いことになったので、厨房設備と食器美品を片付けるだけで済みました。急な展開でしたので厨房設備はテンポスさんへ依頼し売却しました。テンポスさんはとても迅速に対応してくれました。またお客様に対しては張り紙での告知でお伝えしましたが。最後の1週間は本当に今まで利用してくださった方が来てくださりとてもありがたかったです。
後輩の厚意で赤羽の店舗を譲りたいとの話が以前からあり、そのおかげで赤羽への移転もすぐに決まっり、日本橋での営業は無事に終えることができました。
その後問題となっていた転貸主との話し合いは、以前からお世話になっていた弁護士さんのおかげで和解することで決着しました。
精神的にも金銭的にもダメージが大きかった出来事でしたが、とても貴重な経験となりました。
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