日本橋のお店を閉店したのも束の間、既に赤羽への新しいタイかぶれ食堂の準備が着々と進んでました。その場所は赤羽の中でも人通りが多いアーケード商店街の2階にありました。
この時は、もつ鍋屋をやっていますが、1ヶ月後にはタイ料理店に変わります。
このもつ鍋屋の経営者は僕の旧知の後輩でした。
以前からこの場所でタイ料理ができないかと相談されていたのですが、2階の店舗でタイ料理の営業は難しいと考えていたので、当初はお断りしてました。
赤羽の街はとても魅力的で、僕が育った埼玉県川口市からも近く昔からとても馴染みがありましたし、気のおけない仲間や会社の同僚と気軽にお酒を飲んだり、食事をするのにはぴったりな雰囲気の街だったので、お気に入りの街でした。
昔からよく知っている街での出店計画は、楽しみと不安の両方がありました。ただ飲食店を複数経営し、赤羽をよく知っている後輩のバックアップがあり、とても心強かったです。赤羽の良さを生かせる心地良い店にして行きたいと思いながら準備をしてました。
お店は日本橋に比べると約3倍広くなります。なのでメニュー構成や営業スタイルがかなり変えないといけないということになり、日本橋のメニューをそのまま同じというわけにはいきません。メニューも考え直し、お酒を飲みに来る人が多いだろうと考え、飲み放題を売りにした店舗づくりにしました。
その頃の赤羽はメディアに出ることが多く、毎日のように取材スタッフや時には芸能人を見かけました。そんな時期に移転することができたのはとてもラッキーでした。
特に赤羽の飲み屋街の中心である一番街周辺は盛り上がっていて、自分のお店の営業終了後にどこに飲みに行こうかなんてことばかり考えてました。
そんなこんなで時間はあっという間に過ぎ、日本橋の閉店後から約1ヶ月後の夏の終わりに赤羽タイかぶれ食堂はオープンをしました。
オープンすると最初の1週間はとても忙しかったです。移転を心配して駆けつけてくれた友人や、周辺に住んでいて、オープン前に既にタイ料理店ができることを知っていた人が多く、オープン後すぐは順調で手応えを感じていました。
しかし残念なことにオープン時にありがちなミスが多く、大事な質が伴っていませんでした。さらにミーティングでミスの原因を確認しあったり、細かく修正することなく黙々と営業をしていたため、徐々にボロが出てきました。当時のコックは日本橋店時代でも一緒だったデットさんと、知人の紹介で大阪から引っ越してきてくれたコックの2人体制でスタートしました。しかしコック同士のプライドがあり連携がうまくいかないことや、ホールスタッフの研修も充分ではなく、タイ料理の業務経験浅いスタッフが、料理の知識がなかったため、提供ミスも多く見受けられました。これも僕の責任なのですが、やはり自分が知っているからなんとかなるといった甘い考えは通用しなかったです。オープン前の入念な準備ももちろんですが、従業員の教育がうまくできたらなあと思いました。
その頃オープンしてまもなく、前出の後輩が近くに物件を見つけてきて、共同でアジア料理主体のダイニングをやろうということになりました。
面白そうだと思い快く協力させて頂いたのですが、そううまくはいかず、結果2店舗どっちも中途半端になってきてしまいました。このままだとどちらもうまくいかないと思い、こちらのアジアンダイニングは2ヶ月ほどで手を引かせて頂き、タイかぶれ食堂に集中させてもらいました。
このアジアンダイニングはお店がお酒主体のスタイルでしたので、朝から酔っ払いが来て絡まれたりともう経験したくないけど、良い経験をさせて頂きました。
コメント